亜ヒャの書き散らかし

はてなのお題、日々のあれこれ

今週のお題「表彰状」

自分の意志とは関係なく人の褌で取った相撲で表彰されたことの多い人生である。

 

 

何の成果も得られませんでした

読書感想文をはじめとした何らかの作文、自由研究、習字、図工の作品。全て周囲の大人の手が八割方入ってこね回され『小学生らしさ』のテンプレートに押し込まれそれでも大人の手の名残をはみ出させながら、毎年最低でも地区の大会では何かの賞に選ばれたものの、全校生徒の前で表彰状を貰っても正直嬉しくも何ともない子ども時代を過ごしてきた。

ひとえに周囲の大人が満足しただけで、本人としては引きつった顔で『何の成果も得られませんでした』と胸を張って言うことができる。今でも結婚式の受付で名前を書くとき等必要に迫られて筆を持てば全く書けないわけではないが二度書き・修正は当たり前だし、パソコンを使うことが増えたため普段自分で意識して文字を書く機会が随分減り、たまに取るメモは10分経つと何が書いてあるかわからなくなる。手帳も毎年買い替えているが、最初の一日だけ綺麗に書いてその後は大体枠からはみ出している。線を引けば必要もないのに右上がり、組み立て家具は全て友人に謝礼を出して外注か、でき上がったものしか買ったことがない。

そんな中途半端な状態であることを自覚しつつも読んだこの本で我が身を省みることになる。

 

読書レビューとも言えないようなものだけど何か書き残したかった

まず、途中に挟まれる『悩み相談108本ノック』で使われているフォントが大きい。後半になるにつれ内容が重く際どくなり、特に重要な部分は通常のフォントの三倍は大きいため、ページをめくった途端挙動不審になるかもしれないし、通勤中に読むときは背後に注意したほうがいいかもしれない。小心者なので私はできるだけフォントを小さくして読んだ。

自分の作品に自信のない美大生に向けディムさんが『納得のいかない仕事はどこかで手を抜いた仕事。相手にほめられても響かないし、納得のいかない自分がほめられるだけ。だからそのときどきで自分で納得のいく仕事を積み重ねていく』という主旨のお答えを返すところを読んで、ああこれだと膝から崩れ落ちるような思いだった。座っていたのに。

表彰された物事は、大人の手が勝手に入ったとはいえ自分が手を抜いた結果であることに変わりはないし、だから納得がいかず嬉しくも何ともなかったのだと腑に落ちた。他の悩み相談に対するお答えもじわじわ沁み入るものだったが、この相談とお答えが個人的に飛び抜けて記憶され、最終的には納得のいかない当時の気持ちを故郷の村ごと脳内で焼いた。恐らく物置にしまわれているであろう、ストックされた表彰状が綴じられたファイルも焼いた。

 

焼け野原で思うこと

大人になると誰かに表彰されるような機会は自ら作っていかない限りなかなかないし、特にわざわざ表彰されたいというほどの気持ちも持ち合わせていないが、どんな些細なことでもそのときどきで納得のいくことをしていけば、この中途半端な気持ちも端から成仏させていくことができるのではないか。そのためには入念な準備や知識、やっつけにならないためのマインドセット作りなど一朝一夕にはできないことを多々やらねばならない。それでも、手を抜けない代わりに余計な手が入らないことは喜ばしいと捉えたほうがいいだろう。